安倍晋三の大学と学歴コンプ?兄は東大で三菱商事?弟の岸?

今回は内閣総理大臣である安倍晋三さん大学や、兄弟についての情報をまとめていきます。

大学と学歴コンプレックス?

 

安倍晋三首相の出身大学『成蹊大学』で学部学科は「法学部政治学科」、どうやら小学校から「成蹊学園」だったようですね。

 

大学卒業後は、

渡米し語学学校に通い、南カリフォルニア大学へ入学。翌年中退。

 

この事実から「安倍首相の学歴って・・・」という声も少なからずあるようです。

ちなみに安倍家の他の方の学歴がコチラ。

「安倍一族の学歴一覧」

安倍寛(祖父)=東大
岸信介(祖父)=東大
佐藤市郎(大叔父)=海軍大学校主席
佐藤栄作=東大
安倍晋太郎(父)=東大
安倍寛信(兄)=東大
岸信夫(弟)=慶応

 

まぁ政治家としての資質と学歴は関係ないのでしょうけど、日本社会は現状、「学歴」が幅を利かせているのは事実ですし、安倍首相は小学校から成蹊ですので、受験経験が無い可能性は高いです。これをどう受け止めるかは個人の感じ方次第。

 

そんな安倍首相に「学歴コンプレックスがある?」という噂があるのですが、

高校生になると頃、父・晋太郎は「東大へ行け」と分厚い漢和辞典で頭を叩いて勉強を強いるようになる。

「勉強はあまり好きじゃなかった」と認め、反発することもしばしば。

『安倍首相は東大出身者とエリート官僚を良く思っていない。議員でも東大出身者とは肌が合わないのか敬遠する傾向がある。』

『エリートだった祖父や父に対する学歴コンプレックスの裏返しではないか?』と付き合いの長い議員は見ている。

 

という話がある。学歴コンプというのはありえそうですね。

安倍首相の大学時代はというと、

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赤いアルファロメオで通学し、アーチェリー部に所属していた。

アーチェリー部に可愛い女子部員が多くて、今でいう合コンに誘ったり、吉祥寺の行きつけの雀荘によく通って遊んだものだった。

麻雀好きは安倍家の“遺伝”で、父の晋太郎は政治家仲間とよく卓を囲んでいたと古参秘書は明かす。安倍首相自身も麻雀が強いことで知られる。

 

大学時代は人並みに青春を謳歌されたということですね。

 

 

兄弟について!

 

続いて、安倍晋三首相の兄弟についてです。

どうやらお兄さんと弟さんが一人ずついらっしゃるみたいなんですね!

 

兄は東大で三菱商事?

 

兄の名前は『安倍寛信さん』といい、三菱系列の企業『三菱商事パッケージング』の代表取締役社長をされてる方なんですね!

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兄の寛信さんも安倍首相と同様、小学校から大学まで成蹊学園だったようですが、大学卒業後は東大の大学院に進学されたそうです。

 

寛信さんには子供がいらっしゃるようで、そのお子さんが安倍家の地盤を引き継ぐのでは?という話があるそうです!

次世代の「安倍家のプリンス」はいかなる人物なのか。

慶應義塾大学法学部を卒業し、現在は同大学ロースクールの1年生。
小学生時代、父の寛信さんの転勤で、ロンドンで生活したことから語学が堪能。一方で高校・大学とアーチェリー部に所属したスポーツマンでもある。

かつての同級生たちは、「温厚で優しい性格だが、責任感がとにかく強い」と口を揃える。

 

大学時代は司法試験の勉強とクラブの両立が大変だったにもかかわらず、「主務」と呼ばれる部の対外的な責任者を務めた。

心配した同期の友人が手伝おうとしても、「任された仕事は自分でやる」とほとんどの仕事を1人でこなしたというから、激務やストレスをものともしない強い精神力と胃腸の持ち主と見える。

安倍総理の甥だということも本人は隠したがっていた。
家柄ではなく自分自身が努力して頑張ろうという性格。

弁護士志望で、政治家になりたいという話は聞いたことがなかったが、正直、向いていると思うと同級生は語っているそうです。

 

と、政治家ではなく弁護士を目指しているそうなので、政治の道に進まれるのかは今のところ分かりませんが、安倍首相に子供はいらっしゃらないので、その彼が弁護士としてご活躍した後にって可能性はありそうですよね?

 

弟の岸は腹違い?

 

弟さんについてですが、弟さんのお名前は『岸信夫さん』といい、兄と同じく自民党の衆議院議員です。

 

名字が違うことから腹違いの弟?という声もあるようですが、実の弟さんです。

岸信夫衆議院議員は安倍晋三総理の実弟であるが、彼は自分が安倍晋三氏の実弟であることを大学入学前まで知らなかったという。

彼らの祖父である岸信介元総理の息子夫婦には子供がいなかった。だから信夫氏は生まれてすぐに岸家の養子となった。年齢は兄の晋三氏とは5歳違い。

 

晋三と実の兄弟であることは知らずに育った。晋三との関係を知ったのは大学進学に際し戸籍謄本を取り寄せて見たときであった。

「大学入学前だったと記憶するが、提出書類として必要な戸籍謄本を取り寄せて見ると『養子』とあった。見た瞬間アレッて思いました。

そのときのショックは、それは大変なものがあった。それからひと月ほど『何で教えてくれなかったんだ』という思いもあって、頭のなかが一種錯乱状態に陥りました」と語っている。

 

世襲制の色が強い政治家のご家庭というのは、色々とあるようです。

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