【ゴジラ】総監督の庵野秀明がうつだった?嫁は安野モヨコ。

 

今回は、庵野さんに関する噂をまとめていきます。

ゴジラを引き受ける前はうつだった?その理由は?

2014年12月8日に東宝が発表した「ゴジラ」新シリーズで、「新世紀エヴァンゲリオン」「ふしぎの海のナディア」などを手がけた庵野秀明氏が総監督・脚本を務めることが明らかになりました。

監督と特技監督は庵野氏の盟友であり2015年8月公開の「進撃の巨人」で監督を務める樋口真嗣氏が兼任します。

エヴァンゲリオンの監督で知られる庵野さんの作るゴジラがどんなものなのか、非常に気になりますね。

ちなみに・・・

4月1日のスポーツ新聞各紙を皮切りとして報道されたため、ネット上だとエイプリルフールの大ネタなのかそうではないのかがよくわからないことに。

間違いなく嘘だと思うでしょうね^ ^;

公式サイトでは以下のコメントが発表されています。

我々は、何をまた作ろうとしているのか。 そして何故、空想特撮映画を作る事を決めたのか。

2012年12月。エヴァ:Qの公開後、僕は壊れました。

所謂、鬱状態となりました。

6年間、自分の魂を削って再びエヴァを作っていた事への、当然の報いでした。 明けた2013年。その一年間は精神的な負の波が何度も揺れ戻してくる年でした。

自分が代表を務め、自分が作品を背負っているスタジオにただの1度も近づく事が出来ませんでした。

他者や世間との関係性がおかしくなり、まるで回復しない疲労困憊も手伝って、ズブズブと精神的な不安定感に取り込まれていきました。と意味深な言葉とともに、鬱であったことが明らかに。

その間、様々な方々に迷惑をかけましたが、妻や友人らの御蔭で、この世に留まる事が出来、宮崎駿氏に頼まれた声の仕事がアニメ制作へのしがみつき行為として機能した事や、友人らが僕のアニメファンの源になっていた作品の新作をその時期に作っていてくれた御蔭で、アニメーションから心が離れずにすみました。

友人が続けている戦隊シリーズも、特撮ファンとしての心の支えになっていました。

この世に留まることが出来、、、

とあるように、 命を絶つことを考えるほど、精神的に疲弊していたようです。

それほど、エヴァへ打ち込んでいたということなのかもしれませんね。

だが、これを聞いて古くからのアニメファンは思ったはずだ。

「ん?この人、前にも同じようなこと言ってなかったっけ?」と。

実は1996年、『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビシリーズが終わった後、庵野氏は精も根も尽き果て、抜け殻のようになっていたのである。

そして深刻な鬱状態を患い、飛び降り自〇を図ろうとしていたのだ。

『エヴァ』が終わった後、なんか、ものすごく怖い考えに捕らわれたことが一度だけある。それから鬱が激しくなった。

死にたくなることもあって、愛を求める絶望的な叫びっていうんですか(笑)。

そこまで行って、自分の孤独に耐えられなくなって、先が全く見えなくなったんです。

つまり、今回だけではないということでしょうか、、、

庵野さんは、その時の心境をこう語っています↓

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その時、ガイナックスの屋上に立って、実際に飛び込めるかどうか試してみた。

死にたい気分じゃなくて、本当に死にたいのかどうか、それを試したんです。

その時は、死ぬのが怖くて痛そうだってことで、物理的な苦痛から退いたんですよね。

その後、一人でオイオイ泣いて寝たんです。

そんな状態を引きずってアニメの打ち合わせに出席して、何も頭に入らない。

とにかく気が狂いそうになって、どうしたらいいのかわからない!って打ち合わせの席上で突然叫び始めてしまったこともありました。

その後、一人になってみようと思って、久しぶりに自分のアパートに帰ってみたら、もう恐怖そのものみたいな感じに包まれてしまって。

本当に自分の存在が消え失せてしまうように感じられて、言葉にならない。

このままだと自分が何をするかわからないんで、着替えて外へ飛び出して、「タクシー!」って大声で叫んでから、ガイナックスに来て明かりの中で人に近付いてね、自分を落ちつけることにしたんです。

「スキゾ・エヴァンゲリオン」(大田出版)より

ちなみに、ガイナックスのスタッフの反応は、、、

摩砂雪:俺はみんなに聞きたいんだけど、庵野の自〇未遂に惹かれちゃうのが、ちょっとあいつの罠なんじゃないかなって(笑)。

貞本:そんなに苦労してるとは、思っちゃいけないんですよ(笑)。

摩砂雪:俺たちはそれをわかってるんだけど、他の客がいる飲み屋の席で、庵野が「俺は自〇したい」とか、とつとつとやり出すわけよ。これはまずいなと思って、それを打ち消すためにこっちはフォローしてさ。「お前、人前でそんな話するな」って。それでその場で終わると思ったら、今度はスタッフの打ち上げでまたそれを言うんだよ。なんてカッコ悪い奴だと思って(笑)。俺とマッキー(鶴巻氏)はあれを聞いて、もう頭抱えてしゃがみ込んじゃって。

庵野、それを言わなきゃお前はカッコいい男なのに、なんで皆の前で言っちゃうんだって(笑)。

貞本:しょっちゅうそういうの、僕ら真っ先に聞かされるじゃない?「中央線に飛び込みたくなったんだ」とかさ。「ここで飛び込めば死ねると思ったんだよね」とか言って(笑)。

摩砂雪:だってもう、山賀なんか…

貞本:どうしてお前、そこで飛び込まなかったんだと(笑)。

摩砂雪:お前が飛び込んだら、俺、絶対拍手しちゃうよって(笑)。

貞本:ガイナックスの屋上から飛び降りようと思ったって言っても、「あんた、あそこから飛び降りても、足が折れるだけだよ」って、ノドまで出かかったんだけど(笑)。

スタッフにとっては、恒例行事だったようですね^ ^;

ネットでは、エヴァ:Qの出来が悪く、叩かれたのが原因なのではないか?といわれています。

そして、ゴジラの製作を決意したのは、 、、

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「エヴァではない、新たな作品を自分に取り入れないと先に続かない状態を実感し、引き受けることにしました」と新作ゴジラの総監督を引き受けた胸中を明かしています。

なんにせよ、鬱から立ち直ってよかったのかもしれませんね^ ^;

次の【シン・ゴジラ】期待しています!

 

風立ちぬの声優がひどい

エヴァQを製作後、鬱の状態であった庵野さんですが、実はその期間に声優にも 挑戦されています↓

エヴァを作り上げた後は魂の削られ方が激しい、と語る庵野秀明さん。

苦しい時を「風の谷のナウシカ」から師弟関係であるスタジオジブリの宮崎駿さんが救ったと言います。

「作れるようになるまで好きなだけ休めばいいし、あれだけのものを作ったお前なら、人も金も集まるから」という言葉ですごく楽になったとか。

それまでの恩を返す形で、2013年宮崎駿監督の引退作「風立ちぬ」に庵野秀明さんは主役声優として参加しました。

庵野秀明さんを起用した理由を宮崎駿さんは「庵野が現代で一番傷つきながら生きている、そういう感じが声に出ているのが庵野。

丸くならずギザギザしている」と語っています。

主人公のセリフが棒読みだと話題になりましたが、傷ついた経験をしてきた人の素の声を使った意味は深いのではないでしょうか

と、声優ではなく現実で傷ついている庵野さんを登用したとのことでしたが

その演技が話題になりました↓

「余りにも棒過ぎて衝撃を受けた」とネット上にコメントが多数寄せられた。

公開当時も話題となった庵野監督の演じる堀越二郎。

放映が始まると「棒過ぎる」「やべえわ」「庵野ボイスだ。」「子役のの方が上手くねえか?」「久々に聞いたら草生えるわ」といったコメントがずらり。

確かに声優は素人ですからね^ ^;

しかし、中には擁護する声も↓

一方で「じわじわハマってくる声だな」「観た最初の方違和感あるけど、だんだんと馴染んでくるから不思議だ」といった肯定的なコメントも。

ツイッターでも放送開始時間から「#風立ちぬ」「庵野」「二郎さん」などの関連キーワードがトレンド入りするなど大きな盛り上がりを見せた。

厳しい批判の声もありますが、素人としてこの評価は悪くはないのではないでしょうか。

 

奥さんは?

2002年に漫画家の安野モヨコさんと結婚しました。

馴れ初めなどについても見ていきましょう。

馴れ初めは?

二人が知り合ったきっかけについて

「ハッピー・マニア」を描いてて、彼の「新世紀エヴァンゲリオン」も凄い人気で。 会う前から業界で「Wアンノ」と言われていたんですね。 で、共通の知り合いが何人かいたので会ったんですけど、 最初は「なんだ、この人」と思ってて。

二人が知り合ったのは、名前がきっかけだったようですね。

知り合った当時の庵野さんの印象については↓

まず全然喋らないんですよ。

で、みんなで飲んで大勢でうちに来る流れになって。

私が飼ってた犬がすごい人見知りな子なのに、 なぜか庵野監督に乗っかっていったんです。

そうしたら、邪魔くさいから足でポンポンって蹴ったんです。

そのとき、私、彼氏と一緒に住んでたんですけど、 彼は庵野監督の大ファンだから、帰った後も、 「すげえ、すげえ」って大興奮してたけど、 私は、 「すごいかもしんないけど、イヤな奴だ。 何だ、売れてると思って」 ってブツブツ言ってた。

当時、安野さんには彼氏がいて、庵野さんの印象は最悪だったようです。

その後、二人は再開します↓

いろんな飲み会で何回か会ってたんですけど、あんまり・・・・・。

で、六、七年前に漫画家さん八人ぐらいが集まって 「萩尾望都先生を囲む会」があったんです。

私、萩尾先生のお隣に座らせてもらったんですけど、 ファンすぎて緊張しちゃって喋れなくて、 反対側を向きがちだったんですけど、そこに監督がいた。

彼も萩尾先生を尊敬しすぎちゃってて喋れなくて。

でも、テンション上がっててちょっと明るかったんです。

それで、「あ、この人、普通に話せるんじゃないの」と思って。

それから、お互いに連絡取り合うようになったから、 監督と結婚したのは萩尾先生のお陰かも(笑)。

その時は、恋愛関係とまではいかなかったようですね。

二十八ぐらいで、自分の収入で食べていけすぎるので 結婚しなくてもいいかなと思いながら付き合ってて。

でも、結婚する話になって、 すごい束縛する人だったんで苦しいようなストレスを感じてたんです。

その頃、監督とも普通に飲みに行ってたんですけど、 なんか私の避難場所だったんです。

監督にも他に恋人がいたので、 たぶん彼もそんな感じだったんじゃないかと思う。

最初に監督がうちに遊びに来たとき、 一緒に住んでいた人と結婚したかったんですよ。

もう運命の人だと思って結婚すると信じて疑ってなかったんです。

親も友達も私たち自身も。

なのにできなかったから、 私はもう結婚できないと思っていたんです。、二人連続でフラれて。 私は本気で結婚したいと頑張ると頑張りすぎちゃって 相手が疲れるんじゃないかな。

今はそう思いますけど。今のダンナと付き合って初めて、 一日中、二人でベッドでごろごろしながら 「女帝」っていう漫画を全二十何巻読んで。

あ、こういうことしてても大丈夫なんだって思った。

自分が男の人と一緒にいてそんなにリラックスしたことはなかったんです。

庵野さんといる時は自然体になれる、

そういった理由から庵野さんに惹かれていったようですね。

そして、知り合ってから5〜6年が たった2002年3月26日に二人は結婚します。

挙式は、明治神宮で執り行います。 また、この時の仲人を宮崎駿が行っていたそうです。

現在、お子さんはいらっしゃらないようなんですが、仲のよい夫婦ですね^ ^

これからもお幸せに!

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