先日、テレビで越路吹雪さんが歌う映像を観ました。
有名な方だけれど、意外に知らない・・・
越路吹雪さんってどんな人生を歩んだ人なんでしょう?
越路吹雪さんってどんな人?
本名 内藤 美保子
(旧姓 河野)
生年月日 1924年2月18日
没年月日 1980年11月7日(満56歳没)
出生地 日本東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区麹町)
死没地 日本東京都目黒区
国籍 日本
職業 歌手、女優
ジャンル 舞台
活動期間 1937 – 1980年
越路吹雪さんの全盛期は知らない世代の私です。
しかし、越路吹雪さんの歌「愛の賛歌」や「ろくでなし」「サントワマミー」は知っています。
それだけ、すごい歌手だったってことですよね。
画像を観ると、宝塚の男役らしくカッコいい方ですね。
「清く正しく美しく」のスローガンで知られる宝塚で越路は煙草を吸ったり、門限破りをしたりするなど異色の存在であり、「不良少女」のあだ名を付けられた。
面倒見も良く、多くの芸能人から慕われた。宝塚歌劇団在団時、同期生である月丘夢路がぬきんでた美貌を嫉妬されて他の生徒から深刻ないじめにあっていたが、見かねた越路に救われたことを月丘本人が後年になって明かしている。
のちのち生涯をドラマ化されたりしている越路吹雪さん。
そのドラマの中でも、「不良」でありながらも、凛としたたたずまいの女性として描かれていた印象です。
ザ・スターというイメージでしたね。
話題のCD『越路吹雪に捧ぐ』
没後37年を経ても、我が国のポピュラー音楽の歴史に燦然と輝く奇跡の大スター越路吹雪。
その代表曲、名曲や幻の曲の数々を、宝塚歌劇団100年の歴史を彩った各組のトップスター達によって、それぞれの色彩で歌い継いでゆく。CD2枚組に収録される全41曲の内、28曲が本作のための録り下ろし。
DVDにはレコーディングドキュメンタリー映像ほかを収録。<新録音アーティスト/収録曲>
大ヒット曲から通好みの選曲まで、越路吹雪の名曲、貴重曲の数々がここに甦ります。安奈 淳 / ラストダンスは私に
麻実れい / 眠れぬ夜の長恨歌(朗読)
寿ひずる / 夢の中に君がいる
剣 幸 / 愛の讃歌
杜けあき / 枯葉
安寿ミラ / 愛の幕切れ、 洒落にしましょう
涼風真世 / 筏流し
久世星佳 / パダム・パダム、 美しさよ、さようなら
稔 幸 / ビギン・ザ・ビギン
真琴つばさ / ジジ・ラモローゾ、 人生は過ぎゆく
姿月あさと / シャンソン
湖月わたる / ろくでなし、 ブギウギ巴里
春野寿美礼 / ジュテムレ、 群衆
貴城けい / セ・シ・ボン、君を待つ
水 夏希 / 水に流して、 家へ帰るのが怖い
壮 一帆 / イカルスの星、 恋ごころ
凰稀かなめ / サン・トワ・マミー、パリ野郎
龍 真咲 / 雪が降る、愛の讃歌
そうそうたるメンバーが録音した越路吹雪さんの歌。
話題になりましたね。
同じ名前の日本酒?
新潟県限定の酒造好適米「越淡麗」を35%に磨け上げたものだけを100%使用し、長期低温発酵で丹念に仕込みました。洋ナシを思わせるような気品溢れる華やかな香りと透明感のある味わいは飲む人に深い感動を与えてくれます。
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新潟にある「高野酒造」さんが平成3年(1991年)から発売しているお酒です。
特に越路吹雪さんと関係があるわけではないようですが、名前は越路吹雪さんに由来しているのでしょうね。
家族
独身時代、三島由紀夫の恋人だったことがある。三島の母は、息子が越路と結婚するものと思い込んでいたようである。
三島が越路の『モルガンお雪』を観て大ファンとなり、交友関係が始まった。三島が越路主演のために書いた戯曲には、未上演の『溶けた天女』(1954年)と、『女は占領されない』(1959年)があり、独身時代の三島の恋人だという噂もあった。若い頃、越路と湘南の海岸でキスしたことがあると、三島は楯の会会員の井上豊夫に話したという。なお越路の愛称「コーちゃん」は三島が子供の時の愛称「公ちゃん」と同じ読みである。
恋多き女性だったという越路吹雪さん。
小説家でもあり劇作家でもあった三島由紀夫さんとの恋もあったようです。
内藤法美&岩谷時子
越路吹雪のステージの制作会見の様子 で左から越路の夫で作曲家の内藤法美、越路、演出家の浅利慶太、岩谷。
私生活では1959年秋作曲家の内藤法美と結婚、夫妻に子はなかったが内藤とは越路自身の逝去まで連れ添い、越路が亡くなるまでリサイタルやディナーショーの構成、作曲、編曲、指揮なども手掛けた。プライベートでは家事の一切を越路が仕切り、特に掃除の腕前は素晴らしかったという。
子供は授からなかったものの、とても仲の良いご夫婦だった様子。
越路の活躍の裏には、マネージャーとして最期まで支え、21世紀に入っても現役で活躍していた岩谷時子の存在が大きかった。岩谷が宝塚出版部に勤めていた頃に15歳の越路と知り合い、意気投合した。越路が宝塚を辞めた際に岩谷も一緒に退社、共に上京し東宝に所属。東宝の社員として籍を置いたまま越路のマネージャーも務めた(岩谷は1963年に東宝を退社)。岩谷は自身が作詞家として成功を収めた後も、自分の本業を聞かれるたび「越路吹雪のマネージャー」と答えていた。
岩谷時子さんも越路吹雪さんにとっては、かけがえのない家族のような存在だったようですね。
越路吹雪さんの生涯を描いたドラマでも、かなり濃密な関係を築いている様子が描かれていたのを記憶しています。
死因
シャンソンの女王越路吹雪は、昭和55年6月、パルコ西武劇場出演中に胃痛を訴え、公演後東京共済病院に入院。7月8日、胃の3分の2を切る手術を受ける。本人には胃潰瘍と知らされる。8月に退院するがすでにガンは腹膜に転移していた。9月下旬再入院し、手術後4カ月目の11月6日午後3時、夫にみとられて死亡。56歳。先に彼女の両親と兄もガンで死亡している。
ご主人に見守られての最期だったのですね。
両親や兄もガンで亡くしているということなので、ご本人も告知を希望されたのかもですね。
越路の死の直前、病床の越路は意識が朦朧とする中で「法美さんにコーヒーを」と、最期まで最愛の夫である内藤を気遣った。
夫婦愛ですね。夫の内藤法美さんは、1988年に肝臓癌で亡くなれたとのことです。
残した言葉
◆越路吹雪さん(享年56「いっぱい恋をしたし、おいしいものを食べたし、歌も歌ったし、もういいわ」
最期の言葉にも、カッコ良さが感じられる越路吹雪さんですね。