長嶋一茂の嫁(妻)は元ホステス?パニック障害だった?

巨人軍終身名誉監督の偉大な父親、長嶋茂雄さんの息子で2世としてヤクルトへプロ入りし、その後、父が監督している巨人に移籍した長嶋一茂さん。

現在は番組のコメンテーターとしてワイドナショーでよくお見かけしますね。

そんな長嶋一茂さんの嫁やパニック障害について調べてみました。

嫁について

生年月日1967年生まれ
旧姓 猪野仁子
鹿児島県出身
学歴高校卒業らしいが詳細は不明、バレーボール部所属
経歴 元銀座のホステスだったという噂がある
のちに長嶋一茂のマネージャーとなり一茂と結婚して現在に至る。

噂は本当だったんですね。

江角マキコさんは1966年12月18日生まれで、長嶋一茂さんの妻仁子さんとは同学年ですね。
お互いプライドが高そうなので、はじめからもめる要素はあった感じですね。

二人の馴れ初めなどは一体どうだったのでしょうか?

馴れ初めは?

鹿児島県出身の猪名野仁子さんは東京に上京して銀座で働きはじめました。
勤務先は銀座の中でも高級クラブで老舗の『銀座クラブ ドルフィン』。

仁子さんは、長嶋一茂さんだけでなく芸能人と数多くの繋がりを持つほどのナンバーワンホステスでした。
長嶋一茂さんが試合が終わってチームの仲間と銀座に遊びに来て、仁子さんが接客をしたのが出会ったきっかけだそうです。
そして、長嶋一茂さんが現役を引退する直前にホステスを辞めています。
長嶋一茂さんが引退をして芸能活動をする時に、仁子さんはマネージャーとして連れそう事になりました。

なるほど。飲み屋で知り合ったんですね。
野球選手ならではの出会いの一つです。

妻の仁子さんの一茂さんが執念となり結婚できたんでしょうね。

長嶋一茂の妻「長嶋仁子」さんは、元ホステスで銀座ではNo1だったとも? 当時クラブの御三家と言われていた店の1つでもあるドルフィン時代にはNo2だったとも?
尋常ではない噂話が好きな方らしく、噂話どころか作り話を作って、青山初等部のボスだと言う証言もある。
無関心さを装う作戦で、カズシゲさんの気をひいたと、本人があちこちでしゃべってると言う話も・・。

長嶋一茂さんと猪野仁子さんは、1999年9月に入籍をし、結婚式は同じ年の12月3日に箱根の新宮の九頭龍神社であげた。
長嶋一茂さんの妹である長島三奈さんが、長嶋仁子さんを毛嫌いして結婚式の出席を拒否した(取材でフランスに行った)というエピソードは有名。
そして、2004年に双子の子供が誕生していた。
長嶋仁子さんは、現在「ナガシマ企画」の社長を務めている。

マネージャーから旦那を支える妻になるなんてスゴイ方ですね。

長嶋家の問題

「’07年9月に母が亡くなってから、おばさん(Xさん)の態度が豹変しました。母がいなくなったことによって、長嶋家を我が物にできることが嬉しかったのです。脳梗塞の後遺症として、身近な人に依存するようになる。おばさんは父に対して、圧倒的な影響力を持っている。(長嶋家の不仲報道など)一連のできごとは、すべておばさんの存在によって引き起こされた」

「おばさんが運転手のQさんとグルになって、父の財産をほしいままにしていることを突き止めました。まず、父や『オフィスエヌ』の実印も銀行印も通帳も貸し金庫の鍵もすべておばさんが管理していました。父は自分の預金がいくらあるのかなどもまったく関知しておらず、預金を自分で引き出したこともなく、すべておばさんが引き出して、父に小遣いのように渡していました。その他、父のもとには商品券などが毎年送られてくるのですが、父の関心がないのをいいことに自分のものにしてしまっていました」

「おばさんは母の持っていた宝石類を私や妹の了承もなく、勝手に自分のものにしてしまっていた」
[フライデー]

あまり浮き彫りに出ない長嶋家の事情・・・

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その背景には真実を隠す人物の存在がいまして・・・

その人物の名前は弘中恂一郎(ひろなか じゅんいちろう)

弁護人・代理人を務めた人物
安部英・加勢大周・加藤紘一・花田勝・叶姉妹・三浦和義・守屋武昌・小沢一郎
川崎麻世・村上正邦・村木厚子・佐村河内守・中森明菜・中西準子・天羽優子
武井保雄・堀江貴文・麻木久仁子・野村沙知代・矢野絢也・鈴木宗男・東国原英夫・木村剛

早々たるメンバーの弁護をしてきたんでですね。

「なぜ、長嶋妻の情報が出ないのかといえば、それは長嶋のバックにつく、大物弁護士の存在による影響が大きいでしょう。過去に、三浦和義のロス疑惑や小沢一郎の陸山会裁判を無罪判決に導き、また野村沙知代など有名芸能人との交流の深さでも知られる人物です。メディア関係者は、“守護神”とまで言われる彼の名前が出てきた途端、報道や取材が鈍くなってしまうほどですから。落書き事件は、長嶋家が被害者なのは間違いありませんが、その“確執”を生んだ原因についてまったく報じられないのは、そのためです。今後、江角に対するママ友いじめの実態が暴かれようとも、長嶋妻本人がそのいじめにどう関わっていたかの情報は、出てこないでしょうね」(週刊誌記者)

そんな「長嶋家との対立関係に関しては、もはや江角側の“完敗”と言っていい」(同)という現状、果たして江角側に反撃の手立てはあるのか――。

大人になってもイジメがあるなんて本当にやめてほしいですね。

妻の仁子さんはどこでも政治的?

あの事件はこれから先ずっと語られることでしょうね。

江角さんと一茂さんの奥さんは、子どもを同校付属の幼稚園に通わせていた頃からの付き合いで、当初は良好な関係だったといいます。

しかし4年ほど前に関係は悪化し、一茂の奥さんグループと江角さん激しく対立するようになりました。

関係が悪化した末、一茂さん一家がハワイ旅行で不在だった12年の12月30日、都内の一茂さん宅の壁やガレージに「バカ息子」などと幼稚な落書きスプレーで噴き付けられるという事件が勃発。

防犯カメラがあったものの、映像が不鮮明で犯人は逮捕されませんでしたが、今年3月に江角が所属していた大手芸能プロ「研音」から独立後、落書きの“実行犯”だった江角さんのマネージャーが周囲に「スプレー代」として10万円もらい落書きしたことを告白しました。

マネージャーの“犯行”は器物損壊罪もしくは建造物損壊罪で、江角はその教唆にあたる

ママ友仲間だった2人のボスが対立を始めたのは、2011年に江角マキコが長嶋一茂の妻、仁子の陰口を他のママ友に話したのがきっかけのようだ。
このような本人のいないところでママ友同士が不在のママ友の話題をするのはママ友仲間ではよくあることだ。
その時は悪口が誇張して発信される。
その後、江角マキコと会話したママ友が長嶋仁子に、江角マキコがあなたの悪口を話していたよ。っと誇張して告げ口する。
これもよくあることで今回も発端は陰口のチクリ。

その後は江角マキコの派閥と長嶋仁子の派閥が対立するが銀座のホステス、ナンバー・ワンだった長嶋仁子は修羅場の多かったホステス時代の経験からか江角マキコ派閥を崩壊させて江角マキコを徹底的に村八分(無視)にしてママ友仲間から追放される。

長嶋仁子は青山学院にも影響力を持ち、江角マキコの次女が青山学院の幼稚園に入学する際に娘が入学できないように妨害工作を実行することにより江角マキコの娘は入学できなかった。

落ちるはずのない子供の幼稚園入学。
江角マキコは調査して長嶋仁子のしわざだと知ると事務所で号泣する。

また江角マキコもママ友の悪口を陰で言いふらすなどの行為をすることになる。
見かねたマネージャーが江角マキコに内緒で長嶋一茂邸の駐車場に「バカ息子」と落書きをした。
このことが週刊誌で話題にしかし、この騒動で注目を浴びたのは江角さんでも元マネージャーでも長嶋一茂さんでもなく、一茂さんの妻の仁子さんです。

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一般の放送では名前が出てこないのですが、ネットでは結構話題になっています。

なかなか激しい抗争ですね。
ママ友争いといえばこの騒動と今後も言われそうですね。

事件後の一茂さんの好感度アップの理由

司会の東野幸治が「バカ息子って言われてカチンと来ないんですか」と聞いたが、一茂は「全然来ないですよ」とあっけらかんと返した。

一茂は続けて、江角マキコの落書き騒動に触れると、「この間の落書きも大して思ってない」「バカ息子って、この世界で言うのはさんまさんだけで、『絶対さんまさんが落書きしたんだ』と思ってた」と話し、落書きの犯人は明石家さんまだと思っていたことを明かした。

この発言に、スタジオは笑いに包まれた。松本が「そうかぁ。そうであったらよかったな」と述べると、一茂も「そうしたら面白かったですよね」と笑っていた。

過去に共演をしていて、今後も共演はあるんでしょうかね。

その時は視聴率がかなり良くなることが見込めますね。

パニック障害を告白。

これは一茂さん自身の出来事と医師の診断です。

長嶋一茂氏は、御存じの通りミスタージャイアンツ長嶋茂雄氏の長男です。
父親を慕い、後を追うようにして立教大学を経て、スワローズからジャイアンツに入団します。
しかしそこに無理があったようです。
壁にぶつかり、猛練習をするも1軍に定着できませんでした。
そのような2軍生活の中で突然強い眩暈発作 パニック発作を起こすようになります。
以下の内容は最近出版された自身による著書「乗るのが怖い1私のパニック障害克服法」(幻冬舎新書195、2010年11月30日発行)によります。
この本は、題名がストレートに表していますように「パニック障害、乗物恐怖」体験が赤裸々に記述され、その表現があまりにもリアルなため、読者にもパニック障害の恐怖が実感されます。
恐怖の中で、発作の起こる中でどのように社会生活を耐え忍んでいくかも実感されます。
患者さんの恐怖を実体験できる点からも、この本はパニック障害の診療に携わる、医師、臨床心理士、医療スタッフに大変有用と思います。

長嶋一茂氏は1996年、ジャイアンツ1軍選手でしたが、不調のため5月に2軍行きを命じられ、不調の中でうつうつと生活していた時、知人のマンションの屋上で花火大会を見物していた際、突然地面が大きく揺れるような強いめまいを感じます。これが最初のパニック発作で、2度目の時は過呼吸発作を起こし、救急車で東京女子医大の救命救急センターに担ぎ込まれています。
そこでパニック障害と診断され、安定剤の投与を受け、ぺーパーバックによる呼吸法も習います。
その後パニック障害に良いという様々な試みをしますが改善する事無く、その年、ジャイアンツより戦力外通告を受け、そのまま退団します。
その後は、明石家さんまさんの誘いもあり、芸能活動とスポーツリポーターをするようになり生計を立てていきます。
これはパニック障害の力と思います。
もしパニック障害が無ければ、ずっと一流半の野球人生活で苦しみ続けたと思います。
パニック発作は、これ以上の野球生活は無理という事を一茂氏に示してくれています。そしてその力を新たな無理のない方向へ発揮させています。
その後の、スポーツコメンテーターや俳優としての活動は不安の力によるものです。
しかし、その後もパニック障害は治まらず、13年後の2008年、自身が企画した映画『ポストマン』の撮影時、最悪な状態をきたします。
それはロケ地が千葉県であったっため毎回の行き帰りにアクアラインを使うため、毎回そこで死ぬような恐怖体験をし続け、うつ状態が悪化し、強い希死念慮も生じるようになっています、更に悪いことに、服用していた抗うつ薬が合わず、アクチベーション的な希死念慮も強く加昧されていたようです。

 「とにかくうつが酷い。ベッドから起きられない、仕事に行けない、約束が守れない、わけもなく涙が出る――。」

涙は、明け方の3時半頃からで、2人の子供たちがおき出す6時半頃まで続き、子供達のために決して死なないと思い踏みとどまり続けたと言います。
これは貝谷先生の提示された「不安抑うつ発作」の一つと思います。

14年間の闘病生活の後、試行錯誤の結果、生活リズムの改善などから、パニック障害を克服していきます。

自身の心身に対するスタンスとして

「自分の身体は神様からもらった肉体だと思い、
自分の中の自分と対話し、
自分で自分の身体をいたわること、
なぜなら、結局のところ、自分の肉体は自分の魂しか褒めてくれないから。」


そして行き着いた最良の生活態度が「孤独と飢え」に立ち向かう事だと言います。

「まず結論から言うと、孤独と飢えに立ち向かえたら、ほぼパニック障害は克服できる。私は、パニック障害になってみて、食生活を含めた現代人の生活がいかに不必要なもので溢れているかを痛感させられた。
そして、パニック障害の13年目に襲ってきたどん底の中で、私は、心身の健康のためには、『何事もトゥーマッチはだめだ』ということにはっと気がついたのである。例えば、昔のお坊さんの修行を考えてみると、そこには必ず『孤独と飢え』がある。食べないで、何日も何ヶ月も山の中を歩く。

それはたぶん、『孤独と飢え』が、人間を一番強くするからだ。

 それ以来、私は、ちょっと調子が悪くなった時には、できる限り、食事は1日1食にするようにしている。
ちなみに私の場合は、午後3時か4時に食事を摂って、その後、風呂に入って、ストレッチをしたりして、夜9時に寝るのが一番調子が上がる。」


「さらに、毎日、短時間でもいいから、意識的に自分を『孤独にする』ことも大切だ。人間、誰しも、誰かに繋がっているという安心感が欲しい。」「しかしそれが問題なのである。」

「そして、それ(さみしさだとか孤独感だとか、人生の切なさ)を感じなければダメなんじゃないかと私は思うのである。今、多くの人が、人生の孤独や切なさに対する感覚が麻痺してしまっているのではないか。色々なものが供給過多で、それによってどんどん心のバランスが取れなくなっているわけだから――。」

そして一茂氏はパニック障害から立ち直った今、あれだけ長い間苦しめられたパニック障害になって良かったと言っています。

「何より、パニック障害に見舞われたからこそ、得られたことがたくさんあった。一番いい例が『読書の習慣』が身に付いたことだが、その他にも、肉体的に、精神的に、本当にいろいろなことを学ぶことができたように思う。小さい頃からがむしゃらに野球バカを地で行く感じでやってきて、もしも30歳でパニック障害になっていなかったら、私は、かつて母親が言った通り、世の中の機微がまったくわからない『傲慢な人間』のまま無惨な人生を送っていたか、あるいは、命にかかわる大病を患っていたかもしれない。
また、自分が、パニック障害を患うことによって、同じような精神障害に苦しむ人たちの気持ちを慮ることができるようになったのは、私にとって何より多きことだと思う。」


長嶋一茂氏はパニック障害になった事によって、人間的に大きく成長し、幅、深みが増しました。更には現代版養生訓といった現代人の生きる知恵を提供してくれました。これもまさに不安・うつの力です。

今ではテレビでは明るく喋っていますが、こんな事件があったんなんて意外でした。

妻の仁子さんにはしっかり一茂さんを支えてもらって今後もテレビでの活躍して欲しいですね。

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