お笑い芸人の土田晃之さんについて
土田さんといえば、元ヤンキーキャラで、家電や腕時計、アニメなどのマニアックな知識とトーク力でコメンテーターとしても活躍されています。
最近では、ピンでの印象しかない土田晃之さんの元相方や高校時代の噂をまとめました!
出身はどこ?
1979年、小学1年生の時まで東京都で育ち、野球をやっていた。 1980年、小学2年生の時に大宮市へ引っ越した。
出身ではありませんが、思春期の大半を埼玉県の大宮市で過ごしたようですね。
出身高校はどこ?
土田さんの出身高校はこちら↓
埼工大深谷高校(現在名・正智深谷高校)とのこと。
仏教系の学校で、友達には住職がいるそうです。
また、高校時代は筋金入りのヤンキーだったようですね。
ヤンキー時代のエピソード
中学・高校時代ヤンキーだったと本人が公表しています。
こちらが当時の画像↓
いかにもですね。
土田が中高時代のころ、男子は体育会系と文化系とヤンキーの3つに区分できた。
その中で土田は、ヤンキーを選んだとのこと。
183cmの巨体に、鋭い目つき、リーゼントに、改造学ラン姿の土田晃之。
公開されている写真を見る限り「こんな怖いヤンキーいない!」と震え上がる形相で、喧嘩も相当強かったとされています。
実際、土田晃之は、高校1年生の時に停学処分や無期停学処分も食らった札付きのワルでした。
あの独特の威圧感は、この頃に培ったものなのか。
一方でこんな情報も↓
実際の土田晃之は、引きこもり気質なため、ガンダムやサッカーを観るほうが好き。
ヤンキー同士の喧嘩も、「面倒くさいから」という理由で参加することが少なかったのだとか。
あまり好戦的な方ではないタイプなんでしょうか?
本人は、喋り専門のヤンキーだと語っていました。
なんでも、ヤンキーしかいない高校だったため、いじめられないようにとりあえず見た目を周りに合わせていたとのこと。
昔から空気が読めたんですね。
ただ、ヤンキーとして思春期を過ごしたためか、芸人になってからも度々ヤンキーとしての一面が垣間見える時があるようです↓
アンジャッシュの2人と楽屋が同じだった時、後から入ってきた土田さんは非常に機嫌が悪く、カバンを机に叩きつけたそうです。
スポンサーリンク渡部さんが「どうしたの?」と聞くと、「前を歩いてたヤツが歩くスピード遅かったからケツを蹴ってやったよ!」
と、蹴ったにもかかわらずブチギレていたそうです。しかもその人は全然知らない人だと言う・・・。
正にですね。
積極的ではありませんが、根はヤンキーというタイプなのかもしれません。
元相方はだれ?
土田さんは、1991年に対馬盛浩さんと「U-turn」を結成されています。
こちらが相方の対馬さん↓
東京アナウンス学院に在籍していた時代に対馬盛浩と出会い、「元不良と元生徒会長」のアンバランスさを売りにしたお笑いコンビ、U-turnを結成した。
コンビ結成後の初舞台のライブが思いのほか好評だったこともあって、自信満々になり「ダウンタウン? 2年で抜いてやるよ!」と豪語した。
『GAHAHA王国』『タモリのボキャブラ天国』などのお笑い番組やライブに出演したが、1999年に『ボキャブラ天国』が終了して収入が激減した結果、2001年に対馬が廃業を決意し、コンビ解散となった。
それまで「コントがウケなかったら相方の責任にしていた」が、ピン芸人として自立することになった。
現在はピン芸人として幅広い活躍をしていますよね。
解散理由は?
2001年に相方の対馬さんがストレス性の体調不良による休業を事務所に申し入れ、解散しました。
対馬は土田に内緒で就職活動を行い、対馬は就職先が決まると芸能界から足を洗う形で、同年12月末に解散(同月25日に太田プロ公式サイトにて土田が正式に解散を発表)。
生徒会長と不良では、やはりウマが合わなかったのでしょうか・・・
その後は?
現在対馬さんは芸能界を引退し一般企業に就職しており、さらに休業解散の原因が二人の不仲にある所が大きい為、本人の希望により映像の使用を差し控えているようです。
この為、コンビ時代の映像が出される時は対馬さんにモザイクがかかっています。
だから、ピンでの印象が強いのでしょうね。
ストレスの原因も土田さんの嫌がらせにあったとか。。。
土田の尖り振りに対馬はビビりまくって継続不可能になったことも一因と言われる。
土田さんも当時のことは売れなかった時期と、あまり話す様子はないようなので、本当にいい別れ方ではなかったんでしょうね。